2006年01月14日

18の行方〜オノシンジオーレ〜

151fc41c.jpg怪我に悩まされるのはどこでやるのかではなく、本人のプレーによる問題じゃないのか。
日本でプレーを続けて、坪井や、田中達也のように怪我してたら意味もない。
W杯を見据えて飛び立つ選手がいる昨今出戻りとはなさけない。
このままじゃ代表の地位も危ういか。

そもそも4年半という時間、成熟した今の浦和にさえ居場所があるのか。
あるとしたら浦和はその程度しか進歩できなかったということか。
2009年(29歳)には再び移籍を考えるんだろうか。



 フェイエノールトMF小野伸二(26)が13日、浦和に01年7月の移籍以来、4年半ぶりに復帰。完全移籍の3年契約で移籍金は250万ユーロ(約3億4500万円)。年俸はJリーグで日本人最高となる1億8000万円で仮契約。正式契約はメディカルチェック終了後、今月末に行われる。(金額は推定)
 悩んだ末の決断だった。日本の誇る天才MFは次の働き場所に古巣を選んだ。フィテッセ戦2日前にもかかわらず、小野は13日の練習を欠席。その日のうちに親しい関係者や浦和側に復帰する意思を伝え、日本時間の同日深夜、自らの公式サイトで「浦和レッズとの仮契約に合意しました。自分の状況、いろいろな人のアドバイスを聞いた結果、日本の浦和レッズに移籍することを決めました」と発表した。
 苦渋の選択にはW杯があった。98年フランス大会は1試合、02年日韓大会は4試合に出場したが、直前に虫垂炎を患うなど万全ではなく、ポジションも左サイドだった。ドイツで行われる自身3度目のW杯は年齢的にもピーク。6月を見据えた時に、どこでプレーするのがベストか、自問自答を続けていた。今季は右足甲の手術でほとんどをリハビリに費やしたが、浦和なら最高の環境でプレーができる。ブッフバルト監督からは早くからバックアップを約束され、チームには執刀医である仁賀ドクター、さらには野崎トレーナーも控えている。元ブラジル代表FWワシントン、元日本代表FW黒部、左サイドの相馬を獲得。チームも小野が納得できるレベルまでになっていた。
 それでも、昨年末にフェイエノールトと浦和でクラブ間合意をしても欧州へのこだわりが決断を遅らせた。ただ、獲得に興味を示したボルトンは完全移籍の条件は満たせず、また、浦和側が「W杯後の6月に出す可能性もある」(中村強化部長)と欧州再挑戦に理解を示したことで腹は決まった。
 浦和からは既に日本代表と同じ「18」番を用意され、年俸はオランダ時代と同等の1億8000万円で日本人Jリーガー最高俸になる。浦和は米国遠征後2月中旬の招集を希望したが、29日からの日本代表の宮崎合宿への参加も可能だ。「この決断を自分の将来につなげられるようにまずはレッズで精いっぱい頑張ります」。小野はファンに再出発を誓った。
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sm7779 at 08:56│Comments(0)TrackBack(0)

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